【第1部】不動産売買における登記申請事件
第11回 不動産売買の登記申請事件における司法書士の登記費用
(2020年10月1日(木) 公開)
皆さんは登記申請事件の登記費用について その趣旨をご存知ですか?
通常仕事の依頼をする前に皆さんは法務事務所から見積り(費用概算)を取ると思います。特に仲介業者の皆さんは自身の仕事上、今回の登記申請事件の費用を知らなければお客さんに説明も出来ませんので当然ですね。色々な内容の見積もりやそのフォーマットは有ると思いますが、基本的にみんな同じで、その内訳は登録免許税の額と法務事務所に支払う報酬になります。
登録免許税は法律で決まっているのでどこの法務事務所でも変わりません。しかし、その価格は不動産の固定資産の評価額によって決まりますので、高額な評価額の不動産の場合はその登録免許税も高くなり、買主にとってはいくら用意すればよいか判りませんので、やはり見積もりは必要です。ちなみに、法務事務所の費用概算は登録免許税と法務事務所の報酬の明細を表示した合計で記載されていますが、登録免許税は法務事務所に入るお金ではなく、買主等が税金として国に支払う金額を法務事務所が預かって、代わりに登記所で支払っているだけなので、誤解のないようにして下さい。
そして、次に法務事務所の報酬になります。この報酬は法務事務所によってその決め方が異なっています。つまり法務事務所も依頼者が支払う金額は、他の企業等と同様に各々違うという事です。司法書士の役割については、このセミナーでもお話しています。国家から与えられた特別の仕事をしていますが、その依頼者が支払う費用は国家が決めているわけではなのです。
それでは何故国家資格であり、誰もが自由になれない特別な仕事の司法書士が自由に報酬を決められるのでしょうか。それは、ベースに規制緩和の流れがあったと言われていますが、その本質はやはりこれも国民のためという理由からでしょう。つまり、現実はどこの法務事務所に行っても同じ報酬を払えば「同じ法務サービス」を受けられるという事にはなっていないという事です。依頼者にとって一番良い法務事務所は各々違います。そして依頼者が納得のいく法務サービスの提供の仕方も各々法務事務所の考え方によって違いがあります。「早かろう 安かろう」の法務事務所で良いという人もいれば、もっと深い法律判断をして、法律上一番良い解決策を得たいという人もいます。そのような中で、初めから一律に報酬が決められていると、機械的な法律事務は多くの事件を処理出来ますが、時間を掛けて事件の解決策を見出したい、依頼者からの質問に丁寧に答えたいという法務事務所は経営の面でいずれ立ち行かなくなってしまいます。それは国民のためではありません。その事務所にあった報酬がどうしても必要になるのです。そしてその結果、多種多様な法務事務所が現在存在するようになりました。
ただ誤解してはならないのは、何でも自由化すれば上手くいくというものではないという事です。典型的な例では医療です。上述のような考え方で病院の診療に掛かる医療費が自由になれば困るのは一般の国民ですね。病院経営も大変ですが、法務事務所と違うところは「国民皆保険制度」で支えられているところです。一般的に一部の病院を除き、医師の報酬は平均的な国民の収入より遥かに高いので、法務事務所のような問題は起こりずらい状況に制度的になっています。医療の自由化や混合診療といった制度は富裕層にとって利益があるエゴイスティックな制度になりがちなので注意が必要なのです。
話は逸れましたが、それでは平成15年4月1日から司法書士の法務事務所の報酬が完全に自由化されて15年以上経ちますが実際にどうなったのでしょうか。それは法務事務所間の競争の激化を生みました。法律問題は一般国民にとって難しく、とりわけ「登記申請事件」は結果が変わらないため価格競争激化の中に巻き込まれている法務事務所は非常に多く在ります。国民の自由な選択と多様な法務サービスの提供を目指した規制改革も、それだけでは不十分だったという事です。低廉な法務サービスしか受けられない国民は、司法書士制度の目的である「国民の権利の擁護」からは十分には守られていない現実があるように思います。
そしてその典型例が司法書士の報酬である登記費用です。中には相当程度低額な費用で登記手続きを受任している事務所があります。しかし、通常では到底考えられない費用で受任している法務事務所は何故そのような事をしているのでしょうか。色々事情はあると思いますが、典型的な例では、登記申請事件を受任する時に関係があります。それでは一つの典型的な不動産取引の世界をご紹介しましょう。
一般的に不動産取引の世界は仲介業者の方々が中心になって始まる事が多いです。まず不動産を売却してしたいという人がいます。この人が将来の売主です。そして自身では買主を見付けられないので不動産仲介業者の方々に売却の相手を探して貰います。不動産仲介業者はその物件、つまり不動産を押さえます。広告等で売却目的の不動産を一般に宣伝します。そしてその押さえている不動産を買いたいという人が出てきて売買契約の交渉が始まります。その際、逆に不動産を買いたいという人がいて、自身の希望する不動産を探して貰うために不動産仲介業者に購入希望不動産の調査を依頼している事もあります。売主側の不動産仲介業者が売主の売却依頼により押さえている不動産を買主側の不動産仲介業者が見付けた場合、売主側不動産仲介業者と買主側不動産仲介業者という二つの不動産仲介業者が一つの不動産の売買契約に存在する事になります。
不動産仲介業者の担当者は、この売買契約の成約に一生懸命頑張ります。不動産という高額で好みが多様な売買契約はそんなに頻繁にあるわけではなく、不動産仲介業者の担当の方は一般的に月に1件から3件程度の成約が有るのが普通のようです。今月1件成約があれば気持ち的には楽でしょうが、下旬に入っても成約件数ゼロの場合は心情的に穏やかではないでしょう。不動産仲介業者の方々も大変です。そして買主様が不動産の購入を決めた場合、住宅ローンを組む事が一般的です。しかし、買主の方は一生に一度有るか無いかの買い物なので、住宅ローンの知識は殆どありません。そこで不動産仲介業者の担当の方に相談し、又その担当も住宅ローンを組む事は想定内なので積極的にアドバイスもします。何しろ住宅ローンが組めなければそもそもこの不動産売買契約は破断しますので成約に全力を挙げるはずです。ここでまず最初の調整が始まります。そうです、今回の融資の可能性の相談を買主に代わって銀行とするのです。現在、メガバンクから地方銀行、そして今後増えることが予想されるネット銀行と各々の取扱っている商品も多く、金利、審査基準、サービス、更に保険等のオプションも様々です。
住宅ローンの融資元が決まったらいよいよ売買契約も成約に近づきます。次に不動産の名義の変更や住宅ローンの担保権を設定するために登記申請をする法務事務所を探します。法務事務所も多数ありますので、ここでも調整が始まります。つまり、登記申請自体は売主様、買主様からの委任でするのですが、実際の法務事務所への登記申請事件の依頼(紹介)は不動産仲介業者になるという事です。実際はもっと複雑で法務事務所への依頼は銀行の場合もあれば税理士事務所からの場合も、更に弁護士の先生の法律事務所からもあり、又一つの不動産売買契約で売主、買主に代わって相談や交渉を銀行の担当者の方や弁護士の先生も加わってする場合等様々で、近頃では銀行の住宅ローン部門に法務事務所を紹介するサービス会社からも仲介がありますが、ここでは比較的多い不動産仲介業者が中心になって不動産取引を行う例を挙げています。
このようにして、一つの不動産売買契約の関係者が定まっていきます。ここで法務事務所によっては到底考えられないよう低額の登記費用で受任するケースが出てくるのです。不動産仲介業者の担当者の方も前述したようにこの売買契約の成約に一生懸命です。自身のお客様には出来るだけ出費を抑えた方が成約させ易い事もあり、不動産仲介業者の担当者の方によっては法務事務所に値引きを強く迫る事例もあります。その結果、価格競争の真っただ中にいる法務事務所は必要以上に低額の登記費用で受任する事になります。その際、不動産仲介業者の営業担当者の方も、そのような法務事務所は好意的になれますので、次回もその法務事務所に低額で登記申請を仲介します。あってはならない事ですが、そうした事を重ねていくうちに、ある時は低額で、ある時は高額で登記申請を受任するような事が起きる可能性が出てくるのです。これは違法性が極めて高いので注意が必要です。登記申請事件の委任者は売買契約の当事者、つまり、前述したように売主様、買主様なのです。不動産仲介業者の担当者ではありません。そしてその売主、買主は一生に一度有るか無いかの契約をする一般の市民、善意の消費者です。不動産仲介業者や法務事務所は専門業者や専門資格者です。知識や情報量には雲泥の差があるからです。売主や買主はその「専門家」の言う事を信じるしかない状態なのです。
更に言うならば、住宅ローンを組む際にも同じ事が言えます。前述したように現在銀行は多種多様な金融商品を出しており、その中でも住宅ローンは金融機関の柱の一つであり、金融業界でもこの住宅ローンでの顧客の争奪戦は激しいものがあります。ご存じの通り、メガバンクは支店の数を削減する方向で舵を切りました。そうです、インターネットの活用により支店窓口へ来るお客さんが減少し、又窓口が無くても金融業務が行える時代になってきているのでコストの掛からない経営へシフトしなければメガバンクといえども生き残っていけないからです。その象徴が最近出てきた金利が相当程度低い住宅ローン商品でこの業界を牽引し始めているネット銀行です。仲介業者の担当者の方は買主のために公正な仕事をしなければならないのは当然ですが、時として自身にとって都合の良い金融機関の住宅ローンを紹介してしまう事も無いとはいえなのではないでしょうか。登記申請事件と同様に住宅ローンの契約者は買主であり仲介業者の担当者ではないのです。何も知らない買主に一部のバイアスの掛かった情報しか提供しないで住宅ローン契約をさせた場合、その事によって買主に損害が出た時は、不法行為になる可能性が非常に高いです。このことは注意が必要です。このセミナーを受講されている方々は買主に対する忠実義務は果たしていると思いますが。一般に、不動産仲介業者の方も誠実に銀行の推薦をすると思いますが、仲介担当者によっては、自社の月次の締日との関係で、つまり自身の営業成績との関係で、自身の知っている銀行を優先させる事もあるでしょう。その場合は、必ずしも買主にとって有利な条件で住宅ローンが組めるかは判りません。この頃は、慎重な買主もいて、買主自身が銀行を選定するケースも増えてきているように感じます。
このセミナーの受講者は金融機関や法務事務所に対しそのような事はしていないと思いますが、不動産仲介業者、つまり宅建業者の方々は宅建業法上の厳しい守らなければならない義務がある事を忘れてはなりません。そして、法務事務所についても宅建業法以上の厳しい倫理や義務が有ります。
この回のセミナーでお話したい事は実はここからなんです。法務事務所の登記費用の事です。これ迄一つの不動産取引の典型的なケースをお話ししてきましたが、ちょっとおかしいと思われませんでしたか? もし違和感を感じていないとしたら、その方はこのセミナーをまだご理解頂けてない証拠です。
そうです。司法書士や法務事務所が何のために在るのかという事です。これまでセミナーでお話ししてきましたので繰返しませんが、「登記制度の信頼を守り、中立・公正・独立の自由な立場で法律判断をして、一般国民の権利を擁護する」(「登記法務規範論」)という存在でしたね。
その実現に関係が深いのが「報酬」なんです。法務事務所は国家資格がある司法書士が経営していますが、国からは補助金等の金銭は一切出ていません。従って、法務事務所も事務所を経営して行くためには経営資金が必要です。これは当たり前のことです。そのため依頼者から報酬を頂きます。ここで大事なのが報酬の額や受取り事情なんです。もう一度繰返しますが、司法書士や法務事務所は「独立」している事が法令上求められます。そして「報酬」と「独立」は直接関係する概念なのです。
「独立」は言い換えれば「誰からも支配されていない状態」と同じ意味です。そうです。法務事務所は必ず独立していなければならないのです。何故ですか? それは、公正・中立でなればならないからです。例えば、今までお話ししてきました通り不動産取引では不動産仲介業者がその中心を担う事が多いです。そして売主、買主に代わってこの契約に関係する調整を行う事も多くなります。具体的に言うと法務事務所の登記申請事件のフィクサーは“仲介業者の担当者”が現在殆どです。売主や買主が実際にお金を払いますが、費用概算を請求してくるのは仲介業者の担当者です。仲介業者の担当者は実際の登記申請事件の費用を事実上、決定出来る立場にいます。勿論仲介業者の担当者の方の意向が100%通るわけではありませんが。そして中には強く登記申請事件の費用の値引きを要求してくる仲介業者の担当者もいます。
この要求に応じてしまった場合、次回もその担当者から登記申請事件の調整が来る可能性が高いですが、法務事務所もこの相当程度低額な登記申請事件の報酬では経営が成り立たないことは誰の目からも明らかです。そこで、ある時は報酬を必要以上に高く請求する登記申請事件が出てくるのです。又、1件の登記申請事件の報酬では経営が成り立ちませんので、数多くの登記申請事件を同じ方式で受任して売上げを上げ、利益を出す事務事業モデルを作り上げます。これが世に言う「安かろう、早かろう」です。この方法での経営は1件の登記申請事件に時間を掛けられず、いかに機械的に処理するかが経営の課題になり、本来のしなければならない本人確認や意思確認、不動産売買契約の真実性や売主、買主に対する法律的説明が疎かになりがちで、更に、仲介業者と法務事務所との事実上の「力関係」が生まれ、登記申請事件全般に亘って、必要な時に司法書士が取引や売買契約当事者に対し、指示や注意ができない状況になり、また仲介業者も司法書士の話を聴く態度が見られない、不動産売買契約さえ終了すれば良いという感覚で、売主、買主の権利が蔑ろになってしまう恐れさえあるのです。仲介業者の担当者と法務事務所の市場経済社会での生き残りのために。
これはあくまでも最悪のケースです。この状態は客観的に見れば「仲介業者の担当者に法務事務所が支配されている」事と同じです。本来受取らなければならない報酬を貰わないという事は、何かそこに理由があるからです。そうでなければ正当な報酬を受領するはずです。そのような正当な報酬を受け取って仕事をしている法務事務所は沢山あります。法務事務所の存在意義は売主様、買主様にとって公正、中立でなければならないところにあります。法務事務所が本来「受取らなければならない報酬」を放棄して、その場限りの仲介業者の担当者の言う事を聞いて仕事をする状態は仲介業者の担当者に法務事務所が支配されている事の他ありません。その結果、売主、買主は不利益を受ける事になります。
法務事務所の登記申請事件の費用、つまり報酬は単純に低ければよいというものではない事がお解りになりましたでしょうか? 法務事務所、司法書士が独立の立場で自由にその仕事が出来る事が売主様、買主様のためです。そして最終的に仲介業者の担当者の方にとっても喜ばしい事に違いありません。
登記費用は低額であれば良いというものではありません。法務事務所毎に経営方針の基、決まっているものなので、安易な値引き交渉は禁物です。仲介業者は法令上、不動産の仲介を業とする仕事で、売買契約の当事者と法務事務所を仲介する仕事ではありません。仲介業者の担当者から法務事務所へ報酬(登記費用)の値引き交渉をしたり、皆さんの周りで到底考えられない登記申請事件の見積もりを見掛けた時は、仲介業者との特別な関係において、その法務事務所は法令違反の可能性があるとという事を感じた下さい。それは「不当誘致行為」という。
今回のセミナーはここまでとします。今回もこのセミナーに参加頂き有難う御座いました。