【第1部】不動産売買における登記申請事件
 
 
  
第18回 不動産売買の登記申請事件におけるクレームとその対応
 
- 登記系法務事務所の存在意義とは -
 
 
(2021年8月2日(月) 公開)
 
 
 
 
 
皆さんは「クレーム」と聞いて、どのように感じますか?

 

 クレームを受けるのは大変だ。クレームは受けてはならないものだ。クレームを受けると次の仕事に影響する。クライアントの言う事が絶対だ。クレームを受けないで仕事をする事が当然だ。仕事の後からクレームの電話が掛かってくる事は不名誉な事だ。

 
 このような印象をお持ちの方は多いのではないでしょうか? 現に、私が勤めた法務事務所でも、「クライアントからクレームの電話が有った。何が有ったんだっ?」と、司法書士やスタッフのところに血相をかいて飛んで来るスタッフもいました。
 
 
 今回はクレームの話です。登記系法務事務所がクレームを受ける場合は、仲介業者の担当者の皆さんからのものが多いですね。クレームは基本的にとても大事です。何故なら、自身が間違っていないと思っていた事が、実は正しくなかったという事を気付く切っ掛けになるからです。その意味でクレームは非常に貴重な声となります。
 
 
 
クレームは 本来とても大事
 
クレームの内容は 今後の経営や仕事の基盤を醸成する
 
 
 
 ここでお話したいのは、この事を踏まえたクレームの正しい捉え方と対処の仕方です。
 
 
 まず、
 
 
 
クレームが有った場合 一番大事な事は何ですか?
 
それは、仲介業者の担当者のご機嫌です!
 
 
 
 
 と真っ先に答えた方はいないでしょうか?
 
 
  私達が誰のために、そして何ための法律実務という仕事をしているかを認識していれば、このような答えはしないでしょう。
 
 
 
正解は 事実関係です
 
 
 
 事実関係が判らなければそのクレームを正しく理解する事も、又、正しい対処も不可能です。
 
 
 「そんな事は当たり前」と思っている方は、実際の局面について経験が無いか、又はそのクレームに対して正しく対処をしていない方かのどちらかではないでしょうか。特に前者はまだ実際の実務を経験していない方の可能性が高いので、そう思うのも仕方がないかと思います。司法書士試験に合格されたばかりの方や法務事務所に就職しようと考えているスタッフの方々にお伝えしたい事は、現実の実務では当初想定していた事柄とは相当程度異なった出来事が現実に起こるという事を覚悟しておかなければならないという事です。
 
 
 問題なのは後者の方々なのです。特に登記系専門法務事務所では、公正かつ自由な競争を促進し、事業者が自主的な判断で自由に活動できるようにする事という制度目的に基づく独占禁止法(正式名称は、「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」です。)との関係で、2003年(平成15年)1月1日に報酬の自由化がされたのを機に、登記系専門法務事務所間の競争が激化したため、仲介業者の仕事の進め方に合わせて法務事務所が仕事をする傾向になり、その結果、本来するべき法令の制度趣旨を踏まえた法律実務から離れた仕事を強いられている現状があるようです。
 
 
 
司法書士や法務事務所は
 
不動産仲介業者の下請け
 
言われた通り仕事をすればいい
 
 
 
 その結果、仲介業者の担当者の皆さんの中には、自身の仕事のために法務事務所や司法書士が存在すると誤解されている方々が多い印象が有ります。そして、誤解されている仲介業者は、必ずしも中小零細の仲介業者だけでなく、大企業の管理職級の担当者の方もいます。仲介業者の担当者の皆さんは、毎月1件から2件のノルマ(のような制約)が課せられている事が多く、皆さん非常に大変な思いで仕事をされている事は私も存じています。数カ月から事案によっては1年以上を掛けてやっと成約に漕ぎ着けた案件を最後の段階で関与する法務事務所や司法書士によって障害されたくない、と言った心情も場合によっては有るかもしれません。その結果、少しでもその仲介担当者の意にそぐわない事が有れば、それが法務事務所へのクレームになって現れます。
 
 
 不動産売買契約の登記申請事件を受任した際、ほぼ例外無く言える事は、司法書士による売買契約当事者、つまり、売主、買主の面談の際の仲介業者の担当者の法務事務所や司法書士に対する要望です。
 
 
 
面談は できるだけ早く済ませて欲し
 
売主 買主は 忙しいので 15分から30分程度で終わらせて欲しい
 
場合によっては
 
面談時には 仲介担当の自分も その面談に同席させて欲しい
 
 
 
 しかし、法務事務所や司法書士は、売買契約の当事者である売主や買主に対し、適正な面談を行うものであり、それは、憲法の理念に基づき、法律と自身の良心にのみ拘束された司法書士が、独立性、自律性を持って、主体的かつ自由に判断するもので、第三者からの影響を受けるものではありません(「登記法務規範論」)。
 
 
 そして、売買契約の当事者こそが法務事務所及び司法書士の依頼者本人であり、法務事務所及び司法書士の使命の基、依頼者の意向を踏まえ、依頼者のために司法書士が法律実務をするものです。
 
 
 このような不動産仲介業者の担当者の心情には、折角まとめあげ掛けている不動産売買契約に対して、司法書士が売主や買主に余計な事をする事は避けたいといった内情も想像できます。しかし、売買契約の当事者は、不動産仲介業者の担当者ではなく、売主、買主であり、売主、買主は不動産仲介業者の担当者の持ち物ではありません。最後に登場する法務事務所や司法書士が、不動産仲介業者の担当者の方も含め、本当にこの不動産売買契約が適法であるかを確認する事が、不動産という法律上重要財産とされている事、そしてこの不動産に対し次に取引に現れる人達にとっての登記制度に対する信頼性確保からも必要なのです。
 
 
 そして、司法書士の面談は、不動産売買契約の当事者に対し実施するものです。それは、司法書士と売主、買主がお互い向合って行う事自体に意義のある事で、第三者が同席している場での面談は、依頼者の本心を聴き取る事を障害する環境を創り上げる事に他なりません。
 
 
 このような業界事情において、私が聞いたエピソードがあります。それは売主がご高齢で老人ホームに入居されている方で、認知症が進んでおり、本人確認や登記申請意思の確認がままならない状況での司法書士による面談だったそうです。しかし、その売主の健康状態等が事前にその司法書士には伝えられていなく、その司法書士は老人ホームに行って初めて判ったという状況でした。そこで、その司法書士は面談をしますが、コミュニケーションが当然の事ながら取れず、判断法力(意思能力)無しの判定をその仲介担当者に伝えると、あろう事かその仲介担当者はその司法書士に「判断能力が有り、問題無く面談を終えたとして、登記申請をするように」と言ったそうです。
 
 
 勿論、その司法書士はそんな違法な事はできるわけはないので、ハッキリと断ったそうですが、その後、その仲介担当者からその司法書士の勤務している法務事務所宛にクレームを言ったかどうかまでは定かではありません。
 
 
 他にも、決済当日に決済される買主の事前面談の際の事ですが、事前面談の待合せ時間に、その買主が指定するカフェに行ってみると、その買主の他に何やら一人の影が向こう側に有り、暫くして面談をしているテーブルに来て、まだ終わらないのか? といった態度で、そのテーブルの横の椅子に座ったとの事です。その買主は、少し前にこの仲介業者が媒介する住宅を購入しており、今回はその住宅を売却して、新しい住宅を購入する契約をしている事が面談している司法書士に判りました。そこで、更に、当然の事ながら前の住宅の借入の残債が相当程度残っており、今回の住宅購入時の融資を受けるローンで残債が返済できるか、何故そんなに住宅を連続して購入するのか、と言った実体法上の質問をしますが、いずれも返答は曖昧で、本当に新しい住宅を購入する意思が有るのかを確認すると、「仲介の方に全て任せている」と言った答えが返ってきたそうです。住宅購入はその購入者が決めるべきもので、その住宅を媒介する仲介業者が決めたり、指示をしたりするものではないことは言うまでもない事です。結局のところ、通常人の判断能力は有り、その本人がその不動産を購入するといった意思はハッキリ有りましたので、面談を終えたそうですが、その後、その仲介業者から「面談時間が長い。」と言ったクレームがその時の司法書士が勤務する法務事務所へ有ったそうです。面談時間は、このような事情での面談では通常の時間よりも長く掛かる事は当然であり、ましてや途中で切り上げて面談した事にする等という事はできません。しかし、その仲介業者としては、本人確認をして登記申請書類に署名押印すればそれでよく、余計な事に口を出さず、5分から10分程度で司法書士はさっさと帰って貰いたかったのではないでしょうか。
 
 
 因みに、司法書士の登記申請事件の委任に基づく事実関係調査権限及び事実関係調査義務は、通常、依頼者の本人確認、登記申請意思確認、目的物件の確認を行いますが、面談等により、通常時と異なる特段の事情が現に存すると推認されるような局面では、司法書士の登記申請事件の代理申請の職務範囲(契約の適法性の範囲であり、基本的に売買契約書等の内容の真正性といった有効性の範囲ではないという事。)にはなりますが、更に実体法上の事実関係にまで踏み込んで調査をする事があります。その際、不適法か、又は適法性に問題があると司法書士が判断した場合は、当該登記申請事件は代理申請を行いません。これは、司法書士の法律実務は、ただ単に、機械的、形式的な調査や審査では果たせない善管注意義務が有るという事です。
 
 
 これはほんの一例ですが、何故、仲介担当者と法務事務所や司法書士との間でこのような出来事が有り、更にクレームになってしまうのでしょうか?
 
 
 それは、兎にも角にも、仲介業者の担当者の中に法務事務所や司法書士に対する認識に誤りに有る事、又、法務事務所や司法書士の中にもこのような不動産業界の空気に合わせてしまうといった態度が有るからではないでしょうか。
 
 
 法務事務所や司法書士の存在意義や役割、等についてはこのセミナーで詳しくお話していますので、ここでは繰返しませんが、簡単に言って、司法書士(法務事務所)はその使命から、中立公正独立でなければなりません。決して、仲介業者の担当者の下請けではないのです。そして、何故、このような立場で仕事をしなければならないのか、ですが、それは、司法書士が依頼者ではない第三者の言う事を聞いて、影響されて仕事をした場合、それは依頼者の権利を蔑ろにする事と同義だからです。法務事務所や司法書士の存在意義は、契約当事者である売主や買主の権利を擁護するためであり、ひいては登記制度の信頼を確保するためなんです(「登記法務規範論」)。
 
 
 
法務事務所や司法書士は
 
単なる登記手続き代行業者ではない
 
 
 
 売買契約や抵当権設定契約等の存在を確認し、登記申請できる事件か法律判断をし、契約当事者のために登記申請権という権利を直接取扱っている立場が司法書士であり法務事務所です。不動産取引という契約当事者にとって非常に重要な契約の安全を側面から担保している存在であります。この役割は、アメリカでは「ESCROW」(エスクロー)サービスとして、実際の取引きで機能しているサービス形態に似ています。
 
 
 エスクローサービスとは、取引の際に、売主と買主の間に信頼の置ける中立な第三者を仲介させる事、又はそのサービスをいいいます。主に不動産取引の安全を確保するためにアメリカで発達した仕組みで、最近は電子商取引の決済においても活用されているサービスでもあるようす。不動産取引の場合には、エスクローサービスを提供する第三者は、売主からは権利証書等を、買主からは代金を寄託され、物件の確認、決済、登記、引渡しなどの業務に当たります。この業務は、日本ではほぼ司法書士が行っている業務そのものです。
 
 
 つまり、この日本ではアメリカに無い司法書士という国家資格者である法律専門実務家が、既に明治の時代から公正な不動産取引きを通して、契約当事者の権利を擁護していたのです。因みに、登記法は我が国の憲法(大日本帝國憲法は、1889年(明明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行。)よりも先に制定された日本の法律第1号(明治19年法律第1号)です。
 
 
 司法書士は、仲介業者の方々のためではなく、不動産売買や担保権の設定等の場面で、公正な不動産取引きを通して、依頼者の権利を擁護する法律専門実務家なのです。そして、司法書士は、不動産取引きに対し、独立性、自律性を持って主体的かつ自由に関与する依頼者の登記申請事件の代理人なのです。
 
 
 
公正な不動産取引きを通して 依頼者の権利を擁護する
 
それが 司法書士
 
この使命のため
 
司法書士には 独立性 自律性があり
 
司法書士の判断は誰からも影響されず
 
主体的かつ自由である
 
 
 
 クレームには本当に大事な機会を与えてくれるクレームから自己の保身を図る怪しいいクレームまで種々有ります。クレームが有ったら、慌てずにまず、その事実関係の把握から始めるべきです。いつ、誰が、どこで、何を、何故したのか、といった事を時間を掛けて確認する事です。そして、初めてそのクレームに関する事実関係を評価できるのです。
 
 
 
クレームが有ったら
 
慌てずに
 
事実関係を調べる
 
 
 
 そして、クレームをされた担当者を責めるのではなく、理由を聞く事です。法務事務所の担当者は少なくても合理的に判断できる素養の有る方が殆どです。何も理由が無いのにクレームになる事をするわけが有りません。
 
 
 
クレームの有った担当者を責めない
 
 
 
 更に、司法書士や法務事務所に仲介担当者の誤解でされたクレームについては、その担当者や法務事務所の責任者が丁寧に仲介業者と司法書士や法務事務所とはその立ち位置が異なる事、それは全て契約当事者である売主、買主のためであり、ひいては登記制度の信頼を守る営利とは直接関係が無い公益的で特別な立場にいる存在である事を説明する責任が有るという事です。
 
 
 
仲介業者の担当者の誤解でされたクレームには
 
法務事務所の責任者が
 
司法書士や法務事務所の立ち位置と仲介業者の立ち位置とは
 
根本的に異なる事を説明すべき
 
 
 
 仲介業者と法務事務者や司法書士は、お互い協力してこの売買契約を最後まで完結する関係であり、法務事務所や司法書士は決して、仲介業者に媚びるような事をしてはなりません。そうすれば、また同じような事が近いうちに起こる事が容易に想像できるからです。
 
 
 最後に、仲介業者の皆さんは、過度に法務事務所や司法書士を恐れない事です。恐れは、その対象を正しく理解していない事により惹き起こされます。法務事務所や司法書士は、安心して契約当事者が不動産取引きを完了できるようにするだけで、無用に仲介業者の皆さんの邪魔をする者ではありません。一緒に売主や買主のために納得のいく仕事をしましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 いかがでしょたでしょうか。
 
 
 
 
 今回はクレームという取扱いを誤ると法務事務所や司法書士の存在自体を否定してしまうとても恐ろしいお話でした。
 
 
 
 
 今回のセミナーはここまでとします。今回もこのセミナーに参加頂き有難う御座いました。