【REVIEW2022 ❷ 社会

 

 

自由主義と立憲主義
 
ウクライナ侵略戦争と憲法9条 <後編>
 
― 自由を守る戦い ―
 
 
 
 
 
 
 
日本は戦争放棄国であり 自衛隊は違憲だ
 
 
 
 
 
 
 憲法第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
 
 ① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
 ② 前項の目的を達するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 
 
 
 
 憲法9条は、第1項で戦争放棄、第2項で戦力不保持、交戦権否認を規定しています。従って、日本は戦争は出来ず、自衛隊は違憲だ。そのような見識がメディアでもよく取り上げられます。では、
 
 
 
この日本が侵略されたときはどうするのでしょうか?
 
 
 
侵略国に諸手を挙げて降伏すれば良いのでしょうか?
 
 
 
 <前編>をご覧になった方は、もう解りますね。その選択肢は有りません。侵略国が自由主義、民主主義の国であれば、国家体制は変わりませんが、占領国が日本国の自由を保障するかは運次第です。また、侵略国の思想や統治が日本人の人権に適合するかは不明です。
 
 人権、それは個人の尊重が最も価値の高い原理でした。憲法は最高法規であり、この憲法に規定している事に反する事は絶対に許される事ではないんだ、といった捉え方があります。それは当然です。法律は憲法の範囲内で初めて制定出来、国民の権利や義務を規定出来るのです。憲法に反する法律やその他の法規範は全て無効です。
 
 それでは、日本国憲法の理念である平和主義や憲法9条の戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認は日本国に対する侵略戦争との関係ではどのように解釈すればいいか?
 
 
 
 
 
 このような考え方は出来ないでしょうか?
 
 
 
 実は、憲法よりも最高位の価値が有ると。そうです。それが「自由」です。人間は「自由」を守る為に憲法を創ったのでした。つまり、憲法は「自由」の為に在るのです。憲法に書いたから自由が在るわけでは有りませんでした。
 
 
 
 
憲法よりも最高位の価値 それは「自由」
 
 
「自由」を守る為に人間は憲法を創った
 
 
 
 
 すなわち、憲法がこの世界に創造される前から自由は存在し、それは、人間である事それ自体に備わっている必然的で最高の価値であるという事です。
 
 
 
 
憲法がこの世界に創造される以前から自由」は存在した
 
 
 
 
 そして、自由は常に脅かされます。ほっておくと奪われ侵害される性質のものでした。日本国民である個人は、その危うい自由を何としても守らなければならないのです。
 
 日本国憲法は、自由の憲法です。自由を守る為に日本人が成立させた世界最高峰の憲法です。
 
 
 
 
日本国憲法は
 
 
 
自由の憲法
 
 
 
 
 その日本国憲法は、日本国民の自由が侵害されそうになったとき、その自由を守らなくてもいいという判断はしないのではないでしょうか。
 
 戦争には、侵略戦争自衛戦争が有ります。そして、自由は人間が誕生した時から存在する永遠であり、誰からも侵害されない最高の価値です。憲法がこの世に存在する以前の世界に自由は在る。自由は憲法以前から存在し、憲法はその自由を最高の理念として創造される国民である個人相互の間の合意です。
 
 
 
 
憲法がこの国に創造される以前に自由は存在する
 
 
 
憲法は
 
その自由を最高の理念として創造される国民である個人相互間の合意
 
 
 
 
 我々日本国民も、平和主義の下、戦争放棄を宣言しています。しかし、この日本国民の自由が侵害されたときには、反抗する権利が憲法以前の原理として存在し、それは絶え間ない精神によって保持し続けなければならないものだと。
 
 
 
 
自由が侵害されたとき
 
反抗する権利が
 
憲法以前の原理として存在する
 
 
 
 
 日本国憲法には自由・権利の保持についての規定が有ります。
 
 
 
 憲法第12条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】
 
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 
 
 
 
 
 
 この頃、特に政治の一部から憲法改正が叫ばれています。
 
 
 
 
「憲法に自衛隊を明記すべきだ。」
 
 
 
「憲法9条を改正して、普通の国になるべきだ。」
 
 
 
「憲法は75年も前に施行された古いもので、改正が必要だ。」
 
 
 
 
 しかし、これらの意見は、現在の日本国憲法には意味を成しません。
 
 何故なら、まず、日本国憲法上で、侵略戦争放棄を規定し、更に平和主義の下、自衛戦争も含め全ての戦争を否定する事を宣言しているからです。その上で、日本国に対する侵略戦争が万が一に発生した場合、自衛権の発動である実力の行使が日本国憲法以前の権利として交戦権も含め当然に認められるのであって、日本国民の日本国憲法に対する決意はあくまでも「戦争放棄」だからです。
 
 従って、自衛隊は合憲であり、又、毎年国会で自衛隊に対する予算が成立している事からも、現代においては国民一般に認知されており、改めて自衛隊を明記する必要はそもそも有りません。憲法改正と言う意義を履違えた、ただ単に日本国憲法を変えてみたいという政治的扇動の他に無いのです。
 
 
 
 
日本国民の日本国憲法に対する決意
 
 
それは
 
 
戦争放棄
 
 
 
 
 また、「普通の国」にならない、という75年前の悲惨な経験の下、日本国民が決意し、その証として平和主義が規定されたものなのです。
 
 そもそも「普通の国」とはどのような国の事なのか、日本国民に何が起こるのかも国民には知らされていません。そもそも日本政府は、先の戦争について、国民に対して総括さえしていません。あの戦争で当時の日本国民が味わった惨事に対する決意のように、絶対に日本政府に戦争を起こさせてはならないのです。
 
 
 
 
先の戦争で自分の国家から日本国民が味わった惨事に対する決意
 
 
それは
 
 
絶対に日本政府に戦争を起こさせてはならない
 
 
 
 
 更に、憲法は自由という普遍的な価値を規定した法です。欧州の国々が中世、近代に宣言した内容が現代でも憲法として生きているように日本国憲法はいつも新しい法なのです。
 
 
 
 
憲法は「自由」という普遍的価値を規定した法
 
 
日本国憲法は いつも新しい法
 
 
 
 
 日本国憲法は、戦争の中で、侵略戦争を放棄しています。しかし、日本国憲法以前の権利(自衛権)として自衛戦争は放棄していないのです。
 
 相手国から侵略をされ、攻撃を受けた場合、自衛権の発動である実力の行使は当然に出来ます。但し、その目的は、日本国に対する侵略行為を中止(排除ではない)させる為のものです。何故なら、それ以上の日本国の相手国に対する攻撃は、まさに侵略だからです。日本は侵略戦争は出来ません。
 
 憲法9条第2項の「戦力」とは、自衛に必要な最小限度を超える戦力の事であり、その戦力を放棄するというものです。自衛に必要な最小限度を超えない戦力を自衛力(=自衛戦力)と解釈する事が出来ます。日本国に対する侵略行為、すなわち、国民の命や財産が侵害される事が明らかな場合、その侵略行為を中止させる為、客観的に、つまり誰から見ても明らかに他に方法が無い場合、その侵略行為に対して、中止させる必要最小限度の行使の為の自衛戦力は、自衛力として保持出来るという事です。
 
 「自衛権」とは、外国から急迫又は違法な侵害に対して自国を防衛する為に必要な一切の実力を行使する権利とされています。個人、憲法、国民、国家という理解からも自衛権は、独立国家であれば当然に有する権利です。
 
 そして、その自衛権の発動である自衛力の行使、つまり、自衛戦力(=防衛力)の行使は、日本国憲法上(日本国憲法創造以前の権利上)、認められるという解釈は成り立つのではないでしょうか。
 
 日本は、自分で自分の国を守れない憲法を持っていると考えている方がいましたら、それは誤解です。自由は憲法以前に存在した人間の誕生自体に備わっている最高の価値(これを「人権」という。)です。そして、日本国憲法はその自由を守る為の憲法なのです。この国が侵略されたときには、この日本国憲法の下、自衛権の発動である自衛戦力(=防衛力)で十分に防衛出来るのです。
 
 そして、何よりそんな侵略戦争を日本に対し起こさせないように、外交力を最大限に高め、また貿易分野の国際協定軍事同盟等国際社会との関わりを重視し、又、防衛力を必要十分に整備するといった普段からの備えが大事です。大切な事は、日本に対する侵略戦争自体を絶対に起こさせてはならないのです。
 
 
 
 
日本国に対する侵略戦争自体を
 
 
絶対に起こさせてはならない
 
 
 
 
 先の戦争では300万人以上の国民が亡くなり、最後は原子爆弾まで投下され、ようやく終戦になりました。戦争は悲惨です。しかし、それ以上に日本国民ほど自分の国家である大日本帝国に蹂躙された国民は世界の中でも少ないです。当時の日本国民は、戦争が終わって、憲法が変わってホッとした事でしょう。もうあんな悲惨な戦争はしたくないと日本国民全員が例外無く感じたのではないでしょうか。交戦権の否認によって平和主義は貫かれています。惑わされたり、振り回されたりせずに現代、そして未来の日本国民の為に平和主義を堅持する事が必要なのです。
 
 世界には色々な歴史や文化、思想を持った国が在ります。侵略戦争という国際法違反の国が有った場合は、日本は自信を持って日本国憲法の下、全力で日本が出来る事を支援する事で責任は果たせ、国際社会もまた戦争に積極的に臨まない日本の歴史的経緯を背景とした日本国民の立場を理解する事でしょう。各々の国は皆独立した主権国家です。日本がこの問題で他国を批判したりしないように、どの国も、そんな日本を批判したりはしません
 
 
 
 
 日本国民にとっての本当の「平和主義」とは、日本政府に二度と戦争を起こさせないという永久の宣言だと解釈出来るのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
日本国民ほど
 
自分の国家に蹂躙された国民は世界に少ない
 
 
 
 
相手国からの侵略戦争も含め
 
絶対に日本政府に戦争を起こさせないという永久の宣言
 
それが本当の
 
日本国民にとっての「平和主義」
 
日本国民の願いであり決意
 
 
 
 
 
 
 そして、平和主義の下、この国は変わりました
 
 
 
 
 1947年5月3日あの国家主義の大日本帝国憲法から国民主権の日本国憲法に変わって75年間、日本には戦争は有りません
 
 
 
 
 
 
  

 

※<このブログの立場(新説「立憲的戦争放棄論」)の解釈論です(憲法9条の解釈概要)。>

 憲法9条の解釈において、1項では、侵略戦争を放棄するという「1項限定放棄説」(通説)と侵略戦争に加え自衛戦争も放棄しているという「1項全面放棄説」(少数説)が対立しています。また、1項限定放棄説(通説)からは2項では、自衛戦争は放棄していないので、自衛の為の戦力は持てるという解釈になりそうですが、陸海空軍その他の戦力は持てないと規定されていますので、そもそも自衛戦争も事実上出来ない為、結果として自衛戦争も禁じられていると解釈します多数説、2項全面放棄説A)。また、1項全面放棄説(少数説)からは、そもそも1項の解釈で全面的に戦争を放棄していますので、2項の規定は当然の事を規定していると解釈する事になります少数説、2項全面放棄説B)

 1項限定放棄説を実質的に解釈する立場からは、2項の解釈は、自衛戦争は禁じていない為、自衛の為の戦力は持てる事になります少数説、2項限定放棄説)

 このブログの立場(「立憲的戦争放棄論」)は、1項限定放棄説(通説)に立ちますが、2項限定放棄説(少数説)とは、「交戦権」の解釈が異なります。

 「交戦権」の解釈については、自衛戦争を含め全面的に戦争を放棄したという立場に立てば、文字通り戦争をする権利と解釈します。2項限定放棄説(少数説)では、「交戦権」とは、交戦状態に入った場合に交戦国に国際法上認められる権利、例えば、敵国の兵力・軍事施設の破壊、相手国の領土の占領、中立国の船舶の臨検、適性船舶の拿捕等の権利となります。

 このブログの立場(「立憲的戦争放棄論」)では、「交戦権」は、文字通り戦争をする権利と解釈します。この事により、日本国憲法上、平和主義が貫徹されます。

 日本政府の見解では、1項、2項の解釈を通じて、戦争放棄の立場を取っているので、戦力によらない自衛力のみ認められる、つまり、戦力を保持し用いる事は出来ないという立場です(「戦争放棄に関する全面放棄説」)。ここで、日本政府の解釈論上、「自衛力」と「戦力」は別の概念となります。

 このブログの立場(「立憲的戦争放棄論」)では、2項の「前項の目的を達するため」の解釈を侵略戦争放棄の目的と解釈して、戦力の保持に関しては、自衛戦争は放棄していない立場です。そのように解釈する事が、条文の文理解釈上、無理が無い為です。

 尚、2項全面放棄説A(多数説)は、2項の「前項の目的を達するため」の意味については、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」する事という戦争放棄に至った動機を一般的に指すにとどまる解釈になります。

 日本政府の見解では、戦争放棄の立場で、戦力ではなく自衛力の保持を観念し、日本国憲法では自衛権に基づく自衛力は禁じられていないという解釈に立ちます。しかし、ここでも自衛隊は戦力ではないという日本政府の解釈にも無理が有る為、このブログの立場(「立憲的戦争放棄論」)に立つ事によって、 自衛力は自衛戦力であるという無理のない解釈が可能になります。

 但し、日本国憲法の基本原理である平和主義は絶対原理です。このブログでは、日本国憲法上は、自衛権に基づく自衛戦力の保持は認めるものの、平和主義との関係で、侵略戦争も自衛戦争も共に否定し、戦争放棄を堅持します。しかし、万が一の他国からの侵略行為が有った場合、憲法以前の権利としての自由を守る為、自衛権に基づく自衛戦力の行使を行います。この場合、自衛戦力の限界は、侵略国の侵略行為を中止(排除ではない)させる為に必要な最小限度の自衛戦力を限界とし、日本国が相手国を侵略出来ないように日本国の他国に対する侵略戦争の歯止めを掛けています。日本は平和主義です。交戦権の否認によって平和主義は貫かれています。もちろん自衛戦力を持つ事と平和主義とは両立します。

 平和主義は、絶対に日本政府に戦争を起こさせないという日本国民の永遠の願いであり、決意です。憲法は、国家権力を制限し、国民である個人の自由を保障させる為の法です。自衛戦争は、日本政府の判断ではなく、憲法以前の国民である個人の自由を守る為、国民である個人の権利の発動として判断するのです。この場合、日本に客観的な、つまり誰が見ても明らかな侵攻行為(独立国家としての危機)が有った事により、自動的な判断として、自由の危機に対抗する為、自衛権に基づき自衛戦力の行使が可能となります。日本はいわゆる法治国家です。その後は、有事法制に従って、反撃する事になります。

 
 
 
 
 
 
 
(2022年7月1日(金) リリース)